「世の中思うようにいかないよなぁ・・・」
おれは電車の車窓を見ながら、重いため息を一つついた。
「もう、元気出してよ。こんな日に重っ苦しいなぁ」
向かいの席に座ったおれの彼女、由美がむっと頬を膨らませて怒る。
「わあってるよ・・・少しぼやいたらスイッチ切り替えるよ」
「切り替えられるなら今すぐ切り替えて!せっかくスキー旅行に来てるんだから!」
そう、今は幼なじみ兼恋人の由美と、1泊2日のワクワクドキドキのスキー旅行の真っ最中。
電車の車窓からは、白銀の景色がすごいスピードで移り変わっている。その景色を見ているだけでも、本来ならリア充真っ只中、青春まっしぐら(?)と喜ぶべきなのだが、おれの気持ちは重だるい。
というのも、昨日金曜日には仕事で想定外のトラブルが重なって、大ピンチの問題を2件抱えたまま週末に突入したのだ。
広告会社の営業マンであるおれは、完全なるお客様商売。お客様を神様と敬いつつ、いつも細心の注意を払って連絡を取り合うのだが、伝えたはずのことを先方が聞いていないと言い張る事案が2件同時に起きた。しかも、かなり長い間付き合いのある大口取引先。
信頼を置いていた相手からの「聞いていない」攻撃には、精神的にやられてしまった。
「おれは全然ミスしてないのになぁ・・・」
取引先の記憶や記録違いでトラブルになる。こんな理不尽なことが、この仕事には無尽蔵に起こりうる。
と、おれの頬がバン!と叩かれた。
「ため息終了!つぎやったら、足踏んだ上で焼肉おごらせるからね!」
「なんだ、その仕打ち・・・」
おれは苦笑しながら、ネガティブ思考をなんとか振り払った。
そうだ、さすがに今日は大事な日なんだから、これで切り替えよう。
おれは、鞄の中をゴソゴソとまさぐり、小さな包みが入っていることを確認する。
今夜、サプライズとともに、こいつを由美に渡すんだから・・・どう転がっても人生の転機になる日には間違いないのだ。
「ひゃっほー!」
「いやぁぁぁぁぁ!」
「悲鳴あげてる割におれより早いじゃないかよ!」
「だって、気持ちいいんだもんんあああああああっ!やっぱ怖いいいい!」
あえて穴場の田舎スキー場にきたおかげで、周りに人は少ない。
おれと由美は思い切り叫びながら、猛スピードで雪原を滑った。
由美は怖がりながら興奮するという謎のスキースタイルで、ふもとまでおれよりも早く下る。
多分おれよりも滑るのがうまい。
「いやー、やっばいねぇ!あっははは!」
何がやばいのかよく分からないが、ゴーグルをあげて見える由美の笑顔は、雪より真っ白で眩しく見えた。
こんなことは、口が裂けても言えないが。
楽しい時間はあっという間に終わり、おれと由美はホテルに引き上げる。
健全に、別々の部屋にしているのが、おれららしい。というか、幼稚園の頃から知っている由美と今更同室になったくらいで、何もドキドキしたりはしないのだが。
そんなことは大した問題ではなく、部屋に引き上げると、すぐに由美にLINEした。
「いいとこあるみたいだから案内するよ」
すぐに返信がくる。
「いいとこ?わかった。ロビーにいくね」
・・・あれ?何も詮索してこない?
まぁ、いいか。
おれも包みをポケットにしまって、ロビーへ向かった。
おれが由美を案内したのは、ホテルから少し離れたところにある、小さな公園の隣の空地だ。
大通りから離れているために人通りは少ないが、街頭は何カ所かしっかり点いているので、暗くはない。
実は、このなんの変哲もない空間に、ある仕掛けをしてある。
「こんなところに面白いものでもあるの?」
由美はいぶかしげについてくる。
「ああ、由美の大好きなもんだよ」
「大好き?何もないよ?」
おれは一切うそはついていない。由美は実は、お笑いが大好きなのだ。
特に落とし穴とかタライ落としとか、令和の時代には似つかわしくない古典的なお笑いがツボ。
昔からお互いの言家を行き来しながら、夕食の時間にお笑い番組を一緒に見ていたから、よくわかる。
そんな由美のご希望に答えて、おれは落とし穴を用意しているのだ。
由美を落として、一瞬の恐怖を味わってもらった後、おれが助け出しながら婚約指輪を渡す。
これが、おれ史上最大のサプライズとなるプロポーズ。
もちろん、落とし穴を掘った場所は、土地の持ち主の許可を得ているし、高さもそれほどでもない。けがもしないように細心の注意を払っている。
あとは落とすだけ。おれは、まるで悪人のようににやけそうになるのを必死でこらえた。
「あっ、ああ、転ぶ!」
と、後ろを歩いていた由美が突然ふらついた。雪に足をとられた、ように見えるが、何か不自然?
いろいろ考える暇もなく、転びそうになる由美の手を取ろうとすると、まさかやまさか。
由美にぐいっと腕を引っ張られ、おれは落とし穴を仕掛けた場所につんのめった。
「うあああっ!」
顔面から自分でしかけた落とし穴にだいぶするおれ。
何でこんな目に?めちゃかっこ悪いじゃん!つか、由美の動き不自然だった。まさか、落とし穴しかけたの知ってた?いや、でも誰から聞い・・・
そこまで思考したところで、落とし穴の底に到達した。ふかふかの落ち葉をまんべんなく敷き詰めているため、汚れはするがダメージは一切ない。
が、足を天に向かって突き上げ、見事な落ち方をしたのだ。
千鳥格子のコートが、くしゃくしゃにどろどろになっている。
「あっ、あっははははは!豪快に落ちたね!」
腹を抱えて笑っている由美の声が真上から降り注ぐ。
間違いない。こやつ、落とし穴を知っている。
「何で知ってるんだよ!?」
おれはようやく顔を地上に出して叫んだ。
「隆から聞いたんだよ。落とし穴にはめようとしてるから、逆どっきりしてやれって」
おれが唯一話した友人の隆から聞いたようだ。
あいつ、帰ったらどうしてくれよう・・・
「えーい!」
と、今度は由美は落とし穴に飛び込んできた。
おれとぶつかり、おれはまた落ち葉の底に追いやられる。
こいつは何をしてやが・・・と思っていると、今度はゴソゴソとおれのポケットを由美がまさぐっているのがわかった。
「い、いや、待てって!」
「おおっ、これか!」
由美が取り出したのは、まさかのおれが彼女の指にはめようとしていた婚約指輪のケースだ。
由美は、珍獣でも見つけたかのように、それでいて満面の笑みでそれを眺めている。
「これ、私にくれるんでしょ?」
「あ、ああっ!?こんなムードない渡し方になるとは思わなかったよ!」
「そうであろう。世の中思うようにいかないもんだね」
由美は悪戯っ子のように笑う。
その台詞は、どこかで聞いたような・・・
そうか、おれが今朝ぼやいていた台詞だ。
「ほんとだよ。思うようにかねぇ!でも・・・」
おれは由美からケースを奪い、乱雑に指輪を取り出して無理矢理由美の指にはめた。
「だからこそ面白いな」
おれと由美は見つめ合って笑う。
月下、雪原の下の落ち葉にまみれながら、おれと由美は新たな人生の1ページを、確かに刻んだ。
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